寺門ジモン
先日、会社近くで道端アンジェリカhitomiをみた。それぞれ別々に。きゃー!きれー!!ほそー!!!と感激しながら、「私もついに…」と思った。
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上京したばかりのころ、「東京へ来れば、キラキラした有名人と道でばったり会うことがあるんだ」と思っていた。
しかし、私の「有名人みた!」は、たいがい寺門ジモンだった。
寺門ジモンとは、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンだ。
上京〜4年あたりまで、なぜかいつも寺門ジモンを見かけていた。最初の1〜2年は、自宅周辺でよく見かけた。近くに住んでいたのかもしれない。
それから少しして私は転職し、自転車で通える範囲にある会社に入社した。その周辺でも、よく見かけていた。やっぱり、このあたりに住んでいたのかもしれない。
いろんな場所で寺門ジモンを見かけたが、そこに「きゃー!」な感動はなかった。話しかけたこともなく、じーっと見てたわけでもなかったので、寺門ジモン側は私の存在すらしらない(はず)。
なんでいつも寺門ジモンなんだ。ジャニーズとかじゃないのか!と当時の会社の後輩に話したら「え、いっぱい歩いてますよ!この間、すぐそこの踏切で松田翔太がいましたもん!」と笑われた。
え、うそ。なんでこの子が松田翔太で、私は寺門ジモンなの!? わかっているのは、寺門ジモンは一切悪くないということだ。
後輩と自分の違いを考えても虚しいだけなので、「いくら東京といえ、私はキラキラした有名人とばったり会えない運命なのかもしれない」と思うようにした。
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それからさらに転職して自宅も引っ越し、現在に至る。そして、冒頭の道端アンジェリカとhitomiである。
私もついに…!今度からはジャニーズも道でばったり見るようになるかもしれない!
ちなみに寺門ジモンは転職・引っ越しして以来、見かけていない。運命云々じゃなくて、単に場所の問題だったという話。
鬼の調整
子どもは本当に鬼を怖がるの?【節分の日】平和なご家庭に鬼を送り込んでみた。 – よむよむカラメル
ほっこりした。
子が通う保育園でも、豆まきが行われたらしい。お迎えへ行くと、担任の先生が「昨年は年長さんに笑われてしまったので。今年は頑張りました!」と話していた。
くわしく聞いてみると、今年の豆まきは二部構成だったらしい。(昨年は非常にシンプルな一部構成)
一部では誰が見ても先生だとわかる鬼が登場し、みんなが豆まきをする。
「これで終わりかな〜」という空気が流れ始めたころに、一部とは異なる(よーく見ると先生たちの変装だとわかる)赤鬼と青鬼が登場!二部のスタートだ!!このタイミングで、年中クラス以下の子どもたちは驚きと恐怖で大泣き。もちろん、子も大泣き。
年長さんたちが中心となり、鬼を撃退するために豆をまく。これで鬼は教室を出て退散…と見せかけて、再び登場。退治したと思った年長さんたちも「えっ」となりながら豆をまき、今度こそ本当に終了。
先生、かなり頑張りましたね。
先生たちの努力はしっかり実を結んだようで、子は、私がお迎えに行ったときも鬼の恐怖を引きずっていた。保育園の掲示板に貼られていた豆まきの写真に写る鬼を見ても、「おにやだ、おにやだ!」と言っていた。さらに、家での豆まきに誘うと「おにさんくるから、やめようよ…」と言われた。鬼が来ないように豆まくの!
今朝、家での様子を笑い話として担任の先生に伝えたら「他の子もそうだったようで…。来年はもう少しライトにします」と言っていた。鬼の調整、難しい。
Googleへの電話
愛用中のNexus6の調子が悪い。なかなかキーボードが立ち上がらないし、音声認識が立ち上がりっぱなしで他のアプリを動かせないし。初期化してもダメっぽいので、Googleサポートに電話してみた。そんな昨日の話。
思っていたより、電話はすぐつながった。担当らしき人と少し話した後に「では、お試しいただきたいトラブルシューティング方法をお送りしますね。メールアドレスを教えて下さい」と言われたので、私のアドレスを伝えた。「アドレスを確認しますね。NihonのNに、AshiaのAに、TreeのTに、SuperのSに…」
え、いまどきのアドレスの確認ってそうするの!?「ABCのA…」「OPQのO…」みたいに言わないの!?
妙なところで驚いた。なぜか動揺もした。でも、よく考えてみたら漢字を確認するときに「大吉の吉…」って言うから、たいして不自然じゃない。なんで驚いたんだろうか。
と、もにゃもにゃ考えた。気づくと、電話口で確認されたアドレスが一文字間違っていたので即訂正した。そして、数分後にGoogleサポートから届いたメールには「Nexus5Xのための〜」と書かれていた。問い合わせたのはNexus6だよ!
関西弁、しゃべってみてよ
上京した関西人が「えっ!」となる例として、
- 「なんか面白いこと言ってよ」と無茶ぶりされる
- 何かにつけて「オチは?」と聞かれる
などがある。
私の超個人的な意見としては、もうひとつ、
- 突然「関西弁、しゃべってみてよ」と言われる
も加えていいんじゃないかなぁと思っている。
その理由として、「関西弁しゃべってみてよ?」と言われても何を話せばいいのかわからない、がある。
適当に「なんでやねん」と返してみると、不思議なことにものすっごーくウソっぽいイントネーションになったりする。それこそエセ関西人と呼んでいいレベルのやつ。で、結果的に「ウソっぽーい!」と指摘されて終わるオチ。(「本格的〜!」と言われても困るけれど)
さらに言うと、東京のような標準語をベースで話す場所で数年暮らしていたら、勝手に言葉も標準語化していくことが多い。
そんなところへ突然「関西弁しゃべってみてよ」と言われると、頭を切り替えるための時間が必要になる。で、いざ関西弁を話したあとは、元の標準語モードに戻りにくくなったりもする!(そして、その後すぐに話した相手に「え!」という顔をされる!)
普段から関西弁の人であれば「関西弁しゃべってみてよ」と言われないし、言われたとしてもナチュラルに「なんでやねん!」と答えられるんだろうなぁ。私の場合、上京して以来、今やすっかりオフィシャルでは標準語なので、特にそう感じるのかもしれないけれど。
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なぜこの話をブログに書いたのか。きっかけは、先週末に近所の図書室で借りてきたこちらの絵本。
うどんの「うーやん」が出前の途中で、めざしや絹ごし豆腐などの食べ物と出会っていく…というお話。
この絵本、全編を通じて関西弁なのだ。
「なんだ、絵本を読み上げるなんて簡単じゃないか!」と言われそうだけど、テキスト化された関西弁を関西人が読むのもなかなか難しかったりする。だから、「関西人なんだからうまく読めるでしょ!」はちょっとした無茶ぶり。私にとっては、テキスト化された関西弁を読み上げることも、突然「関西弁しゃべってみてよ」と言われるのも、同レベルの難易度だ。
とはいえ、子がドハマリ中の絵本なので、たどたどしくなりながらも読み聞かせを頑張るんですけれどね。
常に迷っていた2015年
今年1年はどんな感じでしたか?と聞かれたら、「迷ってばかりの1年でした」とすぐにこたえられる。そんな1年でした。
ブログには書いていませんが、2015年の個人目標は「スルー力を身につける」「もっと言動に責任を持つ」「『新しいことするから、あいつも誘おうぜ』と言われる立ち位置になる」でした。
達成できたかというと…どうなんだろう。少なくとも1つ目の「スルー力」については、その何たるくらいはわかるようになったかなぁという感じです。常に迷ったし悩んだけれど、振り返ってみると「楽しかった」。
ざっくり振り返ってみます。
1~3月
「2015年も頑張るぞ!」とか言って新年のスタートを切ったくせに、初っ端から挫折。自分のやりたいことと、チームの目指す方向が違った。話し合うが、目標奪取のためにもチームの方向性が正しい、となり、自分も納得してそちらに従う。でも、気持ちがうまく切り替えられない。フラストレーションが溜まったりで、しばらく迷う。メンバーを信じていないわけじゃないし、方向性に不満があるわけじゃない。ただ、私が思っていることと違うだけの話。誰かに話したいけど、うまく言語化できない。「ここいらで、一区切りつけたほうがいいかもしれない」と思っていたところに、上司から新プロジェクトのお話をいただく。
4~6月
「The First Penguin」が始まる。メディアを1から立ち上げるって、大変。でも、ほぼ1人稼働というのが、このときの自分にとってかえってよかったなと今思う。その代わり、これまでのチームからがっつり離れたので、話し相手が減る。だんだん寂しくなっていく。
7~9月
記事の生産スピードを安定させられず四苦八苦。自分の記事製作スピード、レベルを呪う。でも、呪う時間があるなら一本でも公開記事を増やしたい。上司に相談しつつ、いろんなスタイルを試す。
一方、会社が大きく変わる(合併)関係もあり、親しかった人たちが新天地へ。一気に相談相手を失う。ちょっとメンタルが傾く。
10~12月
自分の視野が狭まっているように感じ始める。というか、完全に狭まっていた。そこで、思い切って他媒体さんに会いに行く・そこで書かせてもらうなどの行動に出てみる。「いいですよ」と言ってくださる媒体さんがいくつかあり、ご厚意に甘えさせていただく。自分の欠点もわかり、すごく勉強になる。あっという間に年の瀬。
総括
この1年、私の頭のなかについて回ったのは「本当にこれでいいんだろうか」でした。そのループにハマっては抜け出せす、はてどうしたものかとなる。いい結果に対しても、悪い結果に対しても、「どうしてこうなった?」と考えて再びループへ。この時間ロスはけっこう痛かったように思います。
考えるのはいいけれど、ちゃんと言語化することを改めて意識しないとなぁと。今年、とっても疎かにしていました。記事とか書いてるくせに何言ってんだよこいつ、と思われるかもしれませんが、そのへん、本当に苦手なので来年はなんとかしたい。
あと、私はよく「私なんてそんなそんな」といったような言い訳をしがちなんですが、これ、まったく意味ないですね。言い訳って、他人の目を意識しすぎているだけの話。実際とは全く関係ない。それを強く感じた1年でもありました。担当される側からすると、むしろ迷惑だし不安だし。来年はこれを一切やめようと思います。自信というものが他人と関わってきた数だけあるものだとしたら、私にだってあるはずだ。
来年はもっと「伝え方」をいろいろ試したいですね。メディアというカタチが「読み物」以外でも何かできないかを検証したい。その結果、どういった人たちが集まって、どんなコミュニケーションになるのかをみたい。そのためにも、もっと集中できる自分でいたい。自分の考えをすばやく伝えられる言語化能力を身につけたい。あと、「The First Penguin」も自分も、きちんとしたカタチとして結果を出したい。
あ、そうだ。2015年、ものすごく人に恵まれていました。お世話になった人へ恩を返せる1年にもしたい!
では、来年もよろしくお願いします。
ティッシュで鼻をかめない子
子(もうすぐ3歳、男児)は、まだティッシュで鼻をかめない。
ティッシュを鼻にあててやり「ほら、お鼻でちーんってしてごらんよ」と言うと、大きな声で「ちーん!!!」という。
「(ちげーよ)お鼻から息をふーって出してごらん」と言うと、「ふーん…」と声に出して言う。何をやっても鼻をかめない。
それが昨晩、本人が「おはな、かむ〜」というのでティッシュを渡すと、鼻をかむ音がした。す、すごい!どうやって覚えたの!!と感動しながら、子のティッシュを確認したら何もついていなかった。子の鼻元にも、何もついていなかった。
…吸ったの?
新井浩文の怖い夢を見た
夢を見た。
昨日、新井浩文に告白されて付き合う夢をみた。久しぶりにこのまま寝てていいかな…と思えるほどいい夢だった。いい、夢だった。この気持ちを誰かに話したくて話したくて。すぐ後ろに座っている後輩に話したら「新井浩文って誰ですか?」と返され、はてどうしようかなとなっているのが今です。
— なつきえふえむ (@natukiFM) 2015, 11月 6
私は、こうやって著名人を好きになっていくパターンが多い。かつて、西島秀俊もそうだった。
この夢を見てからの、新井浩文病がひどい。妄想が止まらない。もともと好きな俳優ではあったけれど、こんなことはなかった。なのに、今はというと
気がつくと、新井浩文の画像検索してる日々…
— なつきえふえむ (@natukiFM) 2015, 11月 9
夢の効果ってすごいな。「好き」に近い心理状態にまで自分を盛り上げてくれる。このままの勢いは非常にまずい。この人の場合、西島秀俊に比べてもっと結婚しなさそうだけれど、人の心は移りにけりな。怖い。