関西弁、しゃべってみてよ
上京した関西人が「えっ!」となる例として、
- 「なんか面白いこと言ってよ」と無茶ぶりされる
- 何かにつけて「オチは?」と聞かれる
などがある。
私の超個人的な意見としては、もうひとつ、
- 突然「関西弁、しゃべってみてよ」と言われる
も加えていいんじゃないかなぁと思っている。
その理由として、「関西弁しゃべってみてよ?」と言われても何を話せばいいのかわからない、がある。
適当に「なんでやねん」と返してみると、不思議なことにものすっごーくウソっぽいイントネーションになったりする。それこそエセ関西人と呼んでいいレベルのやつ。で、結果的に「ウソっぽーい!」と指摘されて終わるオチ。(「本格的〜!」と言われても困るけれど)
さらに言うと、東京のような標準語をベースで話す場所で数年暮らしていたら、勝手に言葉も標準語化していくことが多い。
そんなところへ突然「関西弁しゃべってみてよ」と言われると、頭を切り替えるための時間が必要になる。で、いざ関西弁を話したあとは、元の標準語モードに戻りにくくなったりもする!(そして、その後すぐに話した相手に「え!」という顔をされる!)
普段から関西弁の人であれば「関西弁しゃべってみてよ」と言われないし、言われたとしてもナチュラルに「なんでやねん!」と答えられるんだろうなぁ。私の場合、上京して以来、今やすっかりオフィシャルでは標準語なので、特にそう感じるのかもしれないけれど。
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なぜこの話をブログに書いたのか。きっかけは、先週末に近所の図書室で借りてきたこちらの絵本。
うどんの「うーやん」が出前の途中で、めざしや絹ごし豆腐などの食べ物と出会っていく…というお話。
この絵本、全編を通じて関西弁なのだ。
「なんだ、絵本を読み上げるなんて簡単じゃないか!」と言われそうだけど、テキスト化された関西弁を関西人が読むのもなかなか難しかったりする。だから、「関西人なんだからうまく読めるでしょ!」はちょっとした無茶ぶり。私にとっては、テキスト化された関西弁を読み上げることも、突然「関西弁しゃべってみてよ」と言われるのも、同レベルの難易度だ。
とはいえ、子がドハマリ中の絵本なので、たどたどしくなりながらも読み聞かせを頑張るんですけれどね。